2011 年03 月29 日
「やってるかい」「やってる、やってる」
確かジミー大西さんのギャグだったと思うが、最近思い出して一人でニヤニヤしている。また、これもそうだったと思うが「頑張れよ」「お前もな」と言うものも同時に思い出す。
これは今回の震災に対するものではなく(勿論それも思い出すきっかけにはなったと思うが)最近の自分に対する自問自答である。
自分では、ともかく生きている、と言う事で感謝の毎日ではあり、特別のことをやっているわけでも、頑張っている訳でもない。
さりとて「世捨て人」と言うほど世間離れしている訳ではなく、政治に怒ったり、身近な事に感心し、出来る範囲での協力をしたり、「それなりに」やったり頑張ったりしている、と思っている。
だからと言って、他人様から「やってるかい?」と聞かれれば「いや別に特別な事はしていませんよ」と言い、「頑張れよ」と言われれば「そんなに頑張るようなこともしていませんが、それなりにやらせていただいています」くらいしかいえないのが実情である。
でも、決してそれは「後ろ向き」な事ではなく、むしろ凡人(最近仏教系の書き写しをやってるのでこの言葉がすぐに出てくるのは、良い意味でも悪い意味でも毒されているのだろうか)としてそれなりに生きていると言う事なのだろうと思うことにしている。
そんな私に「これをやってくれ」と言われると、とたんに拒否反応が出る。
その善悪を考えるのではなく、言う人がその言葉の裏に「暇なんだろうから」とか「以前こうだったから」と言うように気配を感ずるからである。
暇だから、わざわざ忙しくすることもないし、貴方に言われたくは無い。
以前がどうだったかは、今は関係が無い。
私もやるんだけれど、出来れば力を貸して欲しい、と言われれば、「やったるぞ」「頑張るぞ」と言う気持ちになれるのだけれど。
まぁ、そんなことを行って来るほどの太公望でもないのだからしようが無いか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :44| 健康
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