2011 年04 月15 日
あばたもえくぼ、坊主憎けりゃ
以前にも似たようなテーマで書いたような記憶があるが、探すのも面倒なので、最近思いついた事について書かせていただく。このように考える事自体「思考の停滞」ではないかと気が付いたのである。
「あれがそうだから、これもそうだろう」と言う風に、殆ど考えずに決め込んでしまうことに時々気が付くことはないだろうか。
正直なところ、それに気が付いた時「エッ」と思ってしまう。
果たして本当にそうなのだろうか、と言う風に考え直すのに暫く時間が掛かるのは、加齢のせいばかりではなさそうである。
最近は、それに気が付くたびに「自分としては如何思うのか、本当に世間が言っている(もしくは報道や政府見解の発表など)ことか、正しいのだろうか」と疑問を持つように努めている。
ところが、意識しているにもかかわらず、意外とこれが難しいのである。
一人で気分良く散歩している時にラジオから流れる事に対しては、案外素直にそう思えるのだが、評判になっているし好きな解説者の一人が、(能無しと信じて疑っていないのは失礼だと思うが)タレントと称する人間を相手に解説してバラェティ風の番組にしているときには、案外流されてしまう自分がいて、なかなか軌道修正が利かないのである。
これではいけない、のである。
これが孫相手だと本当に良く判る。
1.5歳しか離れていない女の子どうしなのだが、利き腕が違う事を初めとして、味覚も違うし、好きな色も違うのである。
ところが、やはりどこかで遺伝子が同じようで、気を利かせてやっていると怒られてしまう事がある。
まだまだ「加齢」などと言い訳せずに、是々非々で正しく物事を捉え続けたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :45| 日記
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