2011 年04 月20 日
後始末の気持ちよさ
昨日と同じ流れの中で気が付いた事である。耕耘機の調子を点検してくれていた友人の作業を、自分の至らなさを反省しながら小一時間ほど間近で見せていただいた。
私への丁寧な説明もほぼ終わり、今度は分解したものを順次組み立てていく作業に移っている。
その間も各部の説明や共通の友人などの世間話を交えながら、着々と手が動いている。
そして、気が付いたら、回りには多く散乱していた部品はおろか数多くの使っていた工具類も全て綺麗に片付けられていたことだった。
口に出して言う事は無かった、と言うよりもその見事さに唖然として、感嘆の言葉も出なかった、と言うのが本音である。
さてさて、在職中のことを振り返ってみると、自分ではそれなりに「片をつけてきた」と思ってはいるのだが、これほど見事に「後始末」をつけてきただろうか。
「片をつける」と言うのと「後始末」というのでは、その違いの大きさに今更ながら気が付いたしだいである。
諸姉・諸兄におかれてはそんなことは無いのだろうが、一つそんなことを思うと、かつての三球・照代の漫才の如く、「考え出したら寝られない」ほどの衝撃に見舞われてしまう。
過去を振り返っても仕様が無いのだから、これを見習って、飽くまでも「出来る範囲」で「後始末を『綺麗に』終える」事にしたいものである。
そろそろ畑も本格化するのだから、そんなことから新品の耕運機を初め、農機具や鎌などについても水洗いから油塗りなどとしっかりとしてゆきたいと思っている。
来年振り返ってどこまで出来ているか、今から楽しみである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :30| 日記
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