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2011 年04 月25 日

飽きっぽい性格

 無くて七癖、と言われるが、癖ではなく「性格」と言うものも直らないものの一つであろう。
 高校までの学生時代は然程意識はしなかったのだが、まだ研修所時代にコンピュータ分野に移ったころから、課題が解決するまでは、正直「一心不乱」の状況で物事に当たった。
 これは、決して自慢できる事ではなかった、と言うのは、それだけ自分の作った課題のプログラムにバグ(不具合)が多く、それを見つけ、解決策を考えて、対策を施し、再試験と言う繰り返しだったので、我武者羅、一心不乱は当然だったのである。
 何しろそれを通さなければ、進級どころか卒業も覚束ないのだったから。
 でも、結局生まれ付いての「癖」だったのだろう。
 色々なゲームをやっている間も多分人一倍真剣にやっていたろう。
 かつて(今では以前にも紹介したが、殆ど足が遠のいている)大好きだったパチンコにしてもそうだが、当たるまでのリーチからのアクションにはどきどきもするし、今度こそと思うこともある(それが身の破滅になったりするのだが)。
 ところが、大当たりして、何度かの連ちゃんが続くと、それ以降は「銭稼ぎの仕事」と言うような感覚になってしまい、確かに「稼げる」と言う意味では楽しいのではあるが、その前に「辛さ」が来てしまう。
 こんな事で、仕事でもゲームでも、やっているときにはその次が読めず「下手な考え」かもしれないが、誰にも助けてもらえず「暗中模索」していたり、細工が上手くいくかということを考える事は間違いなく苦しくも楽しいのだが、時間が過ぎて、解決してしまうと、殆どすぐに忘れてしまう。
 これが私の「飽きっぽさ」と言うことに繋がっているように思う。
 一心不乱や暗中模索、我武者羅(こんな感じ:漢字が好きだったりする)は間違いなく楽しいのだが、それを終わってから人から色々と詮索されたり、中には同情されたりするのは、最も嫌いな事である。
 「それはもう終わった」のだから、少なくとも10年くらい後になって「あの時は辛くも楽しかったなぁ」と言う感覚でいたいと思う。

 決して震災の人たちの事では決して無い。

投稿者:つねちゃん
at 10 :30| 健康 | コメント(0 )

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