2011 年04 月27 日
批判が好きな政治屋さん
国会と言うところへは中学校の修学旅行のときに一度行ったきりだが、殆ど記憶に残っていない。尤も、在職中には一つの事務所が国会議事堂の近くにあったので、中へ入る事は無かったけれど、お上りさんらしく近所を俳諧(?)したことは度々であった。
TVに映る、フンワリとしていそうな椅子に、用意されたペットボトルの水などで「ああでもないか、こうでもないか」と議論されていらっしゃる政治屋の方々は、なんとも長閑であるようだ。
口を開けば、「被災者のために」という美名の下の政権与党ばかりではなく他人の批判ばかりではないか。
その批判を考えたり行動(口動)したりする力や能力の半分くらいでも被災者のための行動に変えられないのだろうか。
選挙の時の−−−違反かどうかは別にした−−−「売名行為」のように、個人名での義捐金という話は殆ど聞かない。
自分の腹の痛まない「税金での対処」ばかりを声高に叫んでいらっしゃる。
孫正義氏のように個人で億単位の義捐金までは望まないものの、せめてそのような行為をした上で、批判で無く建設的な意見を求めるのは無理な話なのだろうか。
勿論、こんな事を真剣に考えていたりしたら、次期の落選は目に見えてくるから、誰も遣らないのだろうけれど。
「出ない」から「出る」に変えたどこかの知事さんや、すぐに現地へ行ったら「国会軽視」、遅く行ったら「現場も知らないで」と批判ばかりの先生方、「俺ならもっと別の良い方法を持っているのに」と言っているだけで、ともかく批判ばかりが横行している、まさに魑魅魍魎の世界である。
かつての誰かが「伏魔殿」と称したのは、どこかの省庁に限った事ではなく、国会と言うところそのものがそうなのではないかと思うと空恐ろしい気がする。
投稿者:つねちゃん
at 09 :07| 政治への注文
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