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2011 年05 月11 日

クイズは一過性で楽しむ

 短気なのか飽きっぽいのか判らないが、PCでのメルマガやTV番組でのクイズは好きで大いに楽しんでいる。
 でも、その答えを「覚えていよう」と思ったことは殆どない。
 「そうだったのかぁ」と言う事で、極端に言うと、次の問題が終わった頃には忘れてしまっている。
 そんな事の繰り返しだけれど、「エッ、この問題と似たようなものが過去にもあったぞ」と思うと、俄然「記憶の抽斗」をゴソゴソと探し回っている自分に気が付く時がある。
 基本的には「完全一過性娯楽」と楽しむだけにしているつもりなのだが、それでも「澱」の如く記憶に残っている場合があると、本当に楽しい。
 だからと言って、物理的な抽斗の整理すら、ゴチャゴチャのままなのに、論理的な抽斗が整理されている訳も無く、思うように引き出せないのも現実である。
 気持ちとしては「娯楽」を「苦しみ」にする気は全く無いので、引き出せなければそれはそれで良い、と思っているのである。
 先日も今話題の脳生理学者(こんな言い方が正しいのかどうかは判らないけれど)が「思い出そうとすることだけでも、脳の活性化になる」と言われていた事が記憶にあり、専らそれに委ねてしまっている。
 赤塚富士夫ではないが、「それでいいのだ」と思っている。
 新聞のクイズでも同様で、読んだ時には「へぇー、そうなんだぁ」と思っていても、午後になったらさっぱりと忘れていて、家内に「ある記事に出ていたでしょう」と言われても思い出すのは中々難しい。
 だから、残念ながら「知識」として身に付くものは最近どんどんと少なくなってきているようである。
 でも、「それでいいのだ」を今日も繰り返しながら、クイズを楽しんでいる自分が楽しい。

投稿者:つねちゃん
at 08 :31| 健康 | コメント(0 )

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