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2011 年05 月24 日

日展を見てきて

 この時期ほぼ毎年の恒例行事になっているのだが、日展富山展に家内のアッシー君(この言葉ももう死語の世界だろうか)として随行する事になっている。
 私自身は展示物を毎年干渉するわけではないので、今年は久し振りに、例によって(大体毎年家内に言われている言葉であるが)「好きなものだけを観れば良い」と言う誘いの言葉に、入場料は家内持ちで鑑賞した。
 例によって余談になるが、最近一緒に出かける時の費用の殆どは家内持ちである。
 なぜなら、純粋に「私の収入」と言うのは、町内の人に?技術を教えて頂く「講習料」だけなのである。
 それすらも、収入があった時には「たまには俺の驕り」と言う事で、その日一度だけ支払うだけである。
 年金やその他の公的収入は、私名義ではあるが、全て「大蔵省(今では財務省なのか)」のBOSSである大蔵(財務)大臣の管理下にあるので、その中から僅かに「お小遣い」を頂くだけなのである。
 さりとて、それが特別苦痛になる訳でもなく、タバコをやめてからはそんなに定期的に支出が無いので、たまのパチンコで負けるくらいである。
 本題に戻って、彫刻の類はまだ「綺麗だなぁ」「素晴らしい細工だなぁ」は感ずるのだが、書に至っては、さっぱりその良さというものが判らない。
 特に受賞作品は「わざわざ素人には判らない様に書いてあるのだろう」と近づく事すらしなく経路にあると仕方なく「通過」するだけである。
 当然私のほうが先に出て待っていて、いつもは家内が「あれが良かった」と言うものに頷くだけだったのだが、私なりに印象に残った作品を家内に言うと、「そんな作品、あったっけ?」と言う。
 印象に残った絵が家内と違う、ということは、私なりに「知恵が付いた」と言う事なのだろうか。
 そうなると、今までは「随行員」だったのだが、それなりに観る楽しみが増えた、と言う事で、喜ぶべきことなのだろう。

投稿者:つねちゃん
at 08 :23| 興味あること | コメント(0 )

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