<< 前のエントリ | メイン | 次のエントリ >>
2011 年05 月25 日

「いい事探し」をしながら生きてみよう

 最近読み始めた「正法眼蔵」の影響という訳ではないが、「何か(勿論正法眼蔵では仏教であるが)を見つめ続けていれば、自ずとその境地に至る」と言う事が、薄っすらと理解出来るようになった様な気がするのは、やはり凡人、愚衆と言われる所以だろうか。
 残念ながら、最近(多分そうではなく、昔からそうだったのだろうが、幸いにして恵まれた環境にいたから気が付かなかっただけなのかもしれないのだが)地震、津波、原発事故、近くてでは生肉の食中毒で死傷者が出る、政治・経済も思わしくなく、少ない資金ながら運用している投資信託は、額面がガタ落ちである。
 そんな環境の中で、表題の事を言っても、誰も信用などはし無いだろうが、それでも私はその線で生き続けたいと思っている。
 「泣いて過ごしても一生、笑って過ごしても一生、同じ一生なら笑って過ごそう」と言うような諺らしき事も薄っすらと覚えている。
 まず最初に思いつく「いい事」は「ともかく生きている」と言う事ではなかろうか。
 世の中に不満は数限りなく上げられるけれども、それだって「生きている」から言えるのではないか。
 いやいや、輪廻転生という言葉もあり、あの世とか彼岸に行っても言い続ける事は出来るかもしれないが、そんな先のことなど判らない。
 病気であっても、怪我をしていても、ともかく生きているからこそできる事がある、「死んで花見が」であろう。
 次に「食べている、生活している」ではなかろうか。
 「(少ないかもしれないが)友達がいる」「近所付き合いも(今は仲違いしているかも知れないが)ある」「(高いかもしれないが)スーパーなどに行けば適度に好きなものが買える」など等。
 「そんなことは当たり前」と言われるかもしれない。
 でも「当たり前のことが、当たり前にできる」ということこそが「幸せ=いい事」ではないだろうか。
 そう思いながら、過ごしていけば、少なくとも後ろ向きにはならないですむだろうから、例にって「お金のかからない楽しみ」の一つである。

投稿者:つねちゃん
at 09 :40| 健康 | コメント(0 )

◆この記事へのコメント:

※必須