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2011 年06 月01 日

原発所長の判断

 海水による注水を停めた/止めなかった、が議論されているが、責任者で現場にいた所長の判断は、貴重だと思う。
 かつて、システムがダウンして、偶々、組織のトップだった人間(私の上司)が「すぐに立ち上げろ」と現場に指示したそうである。
 担当者は困りきって私に電話で助けを請うて来たので、「自分の言う事を聞かない事にカンカンになっている」上司に電話を変わってもらって「ともかく全ての責任は私が取りますから」という事で、本来の事務所に戻ってもらった事がある。
 上司はそれまで「即決即断」で、来た人で間違いは無いのだが、そのシステムは私が責任者で時系列的なデータを持っているので、「即立ち上げ」すると時系列が狂ってしまう事を説明して納得してもらった。
 その夜、一緒に飲みに行き「管理者は孤独だなぁ」とお互いに話した事がある。
 その時その場でその人の全知全能を働かせて速やかに判断する、ことが最も求められるのである。
 議論しているうちに時間は経ってしまうのであり、それこそ誰もが責任をもたずに「取り返しが付かない」結論になったときにどうするのだろうか。
 少し違うが、同僚に「アクション大魔王」と渾名される課長がいた。
 命名は、勿論当時人気のあった漫画の「ハクション大魔王」のパクリである。
 トラブルが発生すると、ともかく有識者を現在の仕事を中断させても糾合して、「アクション会議」を開くのである。
 当の課長が方針を持っていないので、議論に議論を重ねるのだが、皆の意見を取り纏めて出すべき結論を、誰一人決定しないのである。
 そして、時間が経過して事態は決して良くならず、「皆で決めた」意見に沿った対応を取る事になる。
 後で説明するのは、当然課長ではなく提案者であり、責めを負うのも勿論である。
 でも、最終的に責めを負うのは、後になっての課長であり、見ていて惨めだった記憶がある。
 三現主義に、自分の判断を重ねた上で速やかに出した結論、という意味で、今回の所長の判断は(結果がどうであれ、というのは無責任だと言われるかもしれないが)正しかったと判断する。

投稿者:つねちゃん
at 08 :17| お役所 | コメント(0 )

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