2011 年06 月02 日
本音の日記は見せられない
アンネの日記ならぬ「本音の日記」だが、やはり「残す」事はやめておこう、と最近思っている。私に限らず、人間は生きている間「良かれ」と思ってやっていることでも、別の見方からすればとんでもなく「悪い事」をしているかもしれない。
このように思ったのは、初めてからもう半年になる「正信偈」の書き写しのせいであろうと思うが、別に仏教と言う概念を持ち出すまでも無く、それが切っ掛けでそう思ったと言う事であろう。
私が利用している日記ソフトは、今までも何回か紹介したと思うが、かなり長い間継続して付けられるもので、その分「遡っても見られる」と言う事である。
3歳の時に「小児疫痢」と言う大病に罹ったことは、勿論その当時に書ける訳ではないから、後で多少のデフォルメがあったり、美化があったりしながらのものである。
漱石風に「名前はまだ無い」と言うのも、随分と後(尤も高校生位だったと思うが−−−原稿用紙に数枚書きかけたものが残っていたのを転記したものである。
初恋らしき事を書いた部分もあったなぁ、それから恋愛風にもなり、煩悶する時期もあつたなぁ。
時候だろうけれど、間違いなく窃盗などの「犯罪」を行った事もあるし ・・・。
全てを読み直して「今からでも遅くない」と書き直すことも考えたが、それも可笑しいと思いながら「今後の事についてぱ書かないでおこう」と思っている。
でも、そんなことを今頃思い出すのも不思議なものである。
それだけ「考える事」が少なくなってきたせいなのだろうか。
このブログを初めとして、まだまだ新聞投稿ネタはいくらでもあるし、それを文章化するという「考える事」も十分にあるのだが。
結局「書けない事」は墓場まで持っていく事になるのだろうなぁ。
もし、万が一、書いて残しておいたら、と思うと、それこそ「死んでも死に切れない」と思うとなんだか楽しく思ったりもする。
投稿者:つねちゃん
at 09 :37| 日記
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