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2011 年06 月03 日

改めて父を思う

 今月12日が父の祥月命日である。
 当初簡単に整理が出来ると思っていたのだが、衣服などは目に見える範囲のものは殆ど整理できたが、写真の整理が探せば探すほど続々と出てくるので、引越しや大掃除の時の畳の下の古新聞を見るようで、中々整理が捗らない。
 さりとて、それは「苦痛」というものではなく、「懐かしさ」と言うものなので、やっていても楽しいことなのである。
 でも、その量が半端じゃないので苦笑いの状況なのである。

 鳶が鷹を産んだほどではないが、気が付くと、似たような会社組織で、父よりも昇進していた。
 ある時、それで衝突した事がある。
 それも懐かしい思い出である。
 写真整理をしていると、趣味の世界や色々な知識の世界では、まだまだ足元にも及ばない事を改めて思い知ることになった。
 会社のOB会などには名前を連ねてはいるが、最初の頃は色々なイベントに参加していたが、最近は殆ど不参加で、「名誉(会費を支払うだけ)会員」になっている。
 地域のつながりでも、そこそこ色々な会にメンバーとして参加しているが、父ほど真剣ではないようである。
 趣味についても、謡曲や長唄の会には、母も一緒に参加してそれなりの腕前(声前?)だったと聞いているし、殆ど整理したけれど、備品も沢山持っていた。
 華道も古流の免許状があり、茶道についてもそれらしき物が残っている。
 在職中は、父を乗り越えて、と言っていたし、父もそれを望んでいたが、結局リタイアしたら何にも残っていない、と言うのでは、勝負にならないのである。
 やはり「蛙の子はオタマジャクシ」であり、中々蛙にはなれないのだろう。
 でも、それを踏まえて「生きている」事になんらの引け目も無い。
 でも、父の享年の84歳まで生きられるかと思うと、とても考えられない、と言う意味でも「超えられないのだろうなぁ」。

投稿者:つねちゃん
at 09 :12| 子育て | コメント(0 )

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