2011 年06 月06 日
わが人生に悔い無し
石原裕次郎の「わが人生に悔い無し」と言う歌が好きである。あるとき、しようが無く勧められて歌ったカラオケでは「ある人の持ち歌だよ」と言われて恐縮した。
それはそれとして、「鏡に映ったわが顔に/グラスを挙げて乾杯だ」と言うフレーズが特に好きな部分である。
昔から、美男子とは程遠く、醜男から数えたほうが早い位の顔の持ち主である事は承知しているが、かつての「痴楽」ほどではないのかな?
相変わらず余談になるが、四代目の痴楽は、わが郷里富山の出身である。
そんなことでいわゆる「波長」が合ったのかもしれないが、なぜか特別噺が面白い訳ではなかったが(いやいや失礼な話しで、私が面白さを理解できなかっただけなのだろう)、好きな落語家の一人であった。
で、そんな顔とでも、64年間付き合ってきたのだから、時には鏡の自分に微笑んで楽しんでみよう。
実は、もう随分昔だけれど、最初の「東京暮らし」をした時に、時々この歌詞のようなシーンをしていた。
別段、格好付けではなかったのだが、まだそれほど「一緒に飲みに行こうか」と誘うほどの友人もなく、ある意味で「孤独感」に耽っていた時があり、仕事が終わった後で、(殆ど新宿だったが)飲みに出て、カウンターの隅で「少し酩酊するくらい」飲んでいた。
当時は、ボトルキープというのが一つのルールだったし、私のようにある程度以上短期間に飲む人間にとっては割引サービスがあったので、便利だった。
もう一つ便利だったのは、少しダンスが踊れるようになっていて、時々ではあるが、ハートナーを誘ってのカクテルは確か50円/杯で格安だったからでもある。
ウィスキーの店、バーボンの店、ウォッカの店(カクテルの種類が多かった)、勿論日本酒の店は「割烹」と言う店だったが、ともかく5軒のカードを持っていた。
本題に戻るが、カウンターの隅には大概の場合「鏡」が張られていた。
今のように「カラオケ」も無かったので、その時々に応じてジャズやクラシックなど聞きたい音楽の店に行っていたものである。
でも、大体一人だから、カウンターの真ん中に座ると邪魔になり、良い顔をされないし、隅で静かに飲んでいれば「良いお客さん」な訳である。
そんな時、鏡に映った自分を「話し相手」に飲んでいると言う光景が、まさに歌詞の通りである。
勿論年齢はまだ22歳だったし、この歌自体が無かった時代なのだが。
今は、幸いにして家族もあり、(時折カラオケが伴うが)飲み友達もいるのでそんなシーンになることは殆ど無いのは、幸せな事なのだろう。
投稿者:つねちゃん
at 10 :52| 健康
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