2011 年06 月10 日
私が「さくら組」だった頃
年長の孫が、保育園で先生の指導を受けて、いろんなことを覚えてくる。器楽演奏もその一つで、短い間に良くここまで覚えるものだ、と感心するくらいである。
勿論先生方の努力に感謝するばかりである。
そこで、もう何十年も昔の自分の「幼児学級」時代に思いを馳せてみる。
勿論今のように「器楽演奏」などは想像も付かなかったから、その所為にする訳ではないが、いまだに「口三味線」くらいの楽器(?)位しかできない。
また、小学校の併設だったので、規律的には小学生と同じものが求められていたのだろう、毎月曜日には講堂での朝礼で、校長先生などの話を聞き、校歌を歌ったものである。
「学級」と言う事なので、基本的には「学習」をすることだったのだろうが、果たしてその成果といわれると、誠に心許無い。
つい昨年くらいに同級生の四方山話で、当時の先生が身近にいらっしゃるとの話を聞いた。
子供の頃だから、全て時候だとは思うものの、面と向かって「その節はお世話になりました」などと言えるほど厚顔無恥ではないので、いまだに正式な挨拶などはしていない。
それにしても、当時はカメラなどは高級品で、父は持っていなかったので、時折近所に小父さんに撮って貰ったものが数枚あるけれど、学級時代のものは入学式の時のものだけしかない。
だから、写真から思い出すことはできないので、断片的にしか記憶を辿れない。
そうそう、今でも残る傷跡は当時のものである。
会っていても誰も気が付かないだろうが、顎の下に大きな傷が残っているのだ。
いつかの朝礼の後で講堂から教室へ戻る時に、坂になった石の廊下で前向きに転んで顎を擦り剥き、大出血して、何針か縫ってもらったものである。
その対応をしてくださった医師は、父と同級生だったと聞いているが、その方ももういらっしゃらない。
総ざらい的に言うと、「臆病だけれど、腕白で、それ以外は何も特徴のない男の子」だったのだろうなぁ。
こう書くと、大分美化しているように思うが、それすら時候でお許し願いたい。
投稿者:つねちゃん
at 07 :28| 子育て
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