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2011 年06 月15 日

報道は「アジテーション」なのか

 書くのが遅すぎたような気がするが、それでも自分としては「果たしてどうなのだろうか」との逡巡を繰り返していたテーマである。
 今回の震災、津波、原発の騒動(事故とも事件とも何とも言い難いので、この言葉を使うが、適切かどうかは自分自身疑問である)についの、TVやラジオの報道は、まさに「アジテーション演説」としか言いようがないくらいに「みっともない」次第ではなかろうか。
 いかにも正論のように「真実を伝えるべきだ」と言うが、何もかもそのままの真実を伝えた場合、果たしてどうなっていただろうか。
 多分大小の差はあるだろうが、今より以上に「パニック」に陥っていたのではないだろうか。
 その結果、各自が自己判断して、混乱を今以上に大きくしていたのではないだろうか。
 今まで聞いた事の無いような、ベクレルだとかという訳の判らない単位をそのまま発表して、受け取った側か果たして正しい判断をしえたのだろうか。
 今でもまだ、その影響については、TVに出てくる学者さんにおいても、百家争鳴の状況なのである。
 それなのに、それを反省するどころか、むしろ「大袈裟に言うほうが視聴率が上がる」とでも思っているような、タレント学者をとっかえ、ひっかえ登場させている。
 また、いつまで経っても「犯人探し」ばかりで、そんなことからは何も被災者にとって利の無い事を弁えていない様である。
 勿論「口達者」の人ばかりだから(口タレントとでも言った方が良いのではないか)簡単に揚げ足を取られるような発言はなく、表向きは「被災者の方が可哀想」と言うだけで、浅い底が見え透いている、と感じるのは私だけだろうか。
 「そんなことをやっている暇があるなら、もっと現実的な援助を」と言う声が、届かない現状を憂えるばかりである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :32| 報道 | コメント(0 )

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