2011 年07 月01 日
抜け道の無い法律は作れない
震災の後で、やることが沢山あるにも拘らず、相も変わらず「政争のお遊び」で、国会議員の方々は忙しい。そんな中で時々出てくるのが、新たな法律作りであり、その穴をまるで重箱の隅をつつくような議論で「笊法」論争である。
それならいっそ「1000年(今回の震災が1000年に一度と言うからで、私自身特別な根拠のある数字ではない)変わることの無い法律」と言うのを作ったらどうだろうか。
全くの冗談である。
かつて「法学概論」と言う物を約半年受講した事がある。
当時は法律を判り易くする本、と言うのが一つのブームだった。
「強姦された場合でも、お尻の下にハンカチを置いてあつた場合は「強姦罪」は適用されず、和姦が成立する」と言うような類である。
これも冗談の類であったろう。
その講義の中で、講師の方が言われたのが、表題の趣旨であつた。
法は人間が作るので、一切の抜けが無いはずが無い者が作るのだから、探しようによって「抜け道」を探すのは簡単なものだ、と言う論法である。
だからこそ、判例、と言う物が尊重されるのだろう。
そんなことくらい、聡明な政治家さんならとっくに御存知だろうに、相変わらずの水掛け論で、ぬくぬくと議論を楽しんでいらっしゃるのは、やはりどうしても看過できないのではないだろうか。
もっとも、最近は官僚も加わって(というかむしろそっちが主管のようだが)「我利(省)我利(党)亡者」が作る法律なのだから、最初から意識された抜け道を用意した法律作りではないかと疑ってしまう。
とは言え、毎度同じことの繰り返しだけれど、そんな人を議員にさせたのも我々国民なのだから、反省しなければならないのだろう。
投稿者:つねちゃん
at 09 :58| 日記
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