<< 前のエントリ | メイン | 次のエントリ >>
2011 年07 月04 日

常に「出来る範囲で」「見える所だけでも」という気持ち

 最初にお断りしておくが、この論旨は「横着者の言い訳」なのであるから、同様な行動指針にはなさらないほうが良いのかも知れない。
 何かをするということを思い立つと、まずその原因となった所に手をつけて、それが上手く完了すると、それを一つの行動指針として自分自身で確立させて「他にもどこかにその対象がないか」と探し回る事がある。
 多分最初のうちは、「ここにもあった。ここにもあった」が続くのであるが、そのうちに近くで目に付く物が容易に見つからず、中々「探す時には見つからない」ということになり、挫折してしまう事がよくあるのは私だけではないのではないか。
 最初は「また新しい物を考えよう」と余り気落ちがしないのであるが、何度か続くと、結局「その場限りで良いじゃないか」という気持ちが先に立ち、行動指針がなくなってしまう。
 ましてや、そんな時に、他人様から「あこにもあるじゃないか」とさも揶揄的に言われると、「ほっといてくれ」と言う気持ちになってしまい、折角良い事をしようと思っても「もうやるものか」と言う気持ちにもなってしまいがちである。
 そんな時の「抜け道」が表題である。
 他人様から「それならあそこにその対象があるよ」と言われても、それは私の出来る範囲を超えている、と言い訳できるし、「あそこにもあったじゃないか」と言われても「目に付かなかったなぁ」と言い訳できるのも、便利この上ない。
 そうすれば、自分が気が付いた時に、目に見える所だけを行動指針に基づいてやればいいのである。
 勿論、端から誰かに「褒められよう」などとは思っていないのだから、貶された所で気にもならない。
 何しろ、自分勝手に決めた行動指針なので、それが長続きすれば、自分の気持ちが良く、良い気持ちが長続きするのだから、こんなに良いことはない。
 在職中は、目標設定とPDCAの繰り返し、と言う事で取り組んできたし、部下にもある意味で強制してきたのだが、リタイアした今「気ままな行動指針」の「気持ちよい長続き」はお金もかからない道楽と心得れば良いと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 09 :14| 健康 | コメント(0 )

◆この記事へのコメント:

※必須