2011 年09 月01 日
貴重な体験
夏休み前にお約束したとおりのテーマである。多分殆どの人は忘れてしまっているのだろうから、全く別のテーマでも良かったのだが、予定表に則って書かせていただく。
このときには「治験」を初めとした体験を基に文章を綴って見たいと思っていた。
その後に「母の逝去」と言うもっと大きなインパクトを持った体験をしたので、何だか下書きが虚しく思えてきた。
母の逝去については、暫く後にして、皆さんもそれぞれ「貴重な体験」と言う物をお持ちなのではなかろうか。
それを今「思い出す」だけでも何だか懐かしく「幸せだったなぁ」と思えることだろう。
そうでなければ、「今がないから」と思えば、全てが薔薇色とまでは行かなくても懐かしく思い出されることだろう。
最も過去のことでの貴重な体験は「小児疫痢」である。
(興味もないかもしれないけれど、概要は「追記」をお読みください)
母などに聞くと「大事な長男」のことだから、夜中であれリヤカーに乗せて病院を走り回ってくれたとのことで「九死に一生」だったとのことである。
その後は順調に育って、色々な狭き門は同年代だったら誰も同じだったろうから、割愛して、プロジェクトのリーダーになって大変に時期にさしかかっていた頃、親戚のお祭りに行って両踵を複雑骨折したことだったろう。
松葉杖を頼りに、オートマチックだったからギプスで固定しながら何とか運転だけは出来たし、電話会議でも同僚や部下の支えで無事に遅滞無く完成させられた事ではなかったろうか。
波乱万丈と言うほどではないが、今回の「治験」と言うのも、自分のためと言うよりも新薬開発で救われる多くの人のためだと思えば、今からでも「楽しい体験」と思える。
3歳の頃だから、途中朧なところがあるが、夏の頃、近所の子供と一緒に遊んでいて、アイスキャンデーを食べた後も喉が渇き、町内にあった魚市場の井戸水(冷たくて美味しかった)を飲んだ後走り回っていた事までは思い出すのだが、それが気がついたら布団に寝かされていて、つぎに気がついたら病室だった。窓からは近所の映画館から笠木シズ子の「買い物ブギ」が流れていて、無性にお腹が減っていて、部屋には何も無いが、廊下から美味しそうな大好物の焼き魚の匂いがしてきた。
果たして、付き添ってくれた姉が食べ残した焼き魚の骨である。
それを食って、漸く改善の方向に向かっていた事態が再び「あっちを9割向いていた」と言う状態になったとのことである。
今ではそれを言う人は殆ど居なくなったが、親戚の集まりではよく肴にされた物である。
誰に言われなくても、記憶が朧になっても、貴重な体験である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :56| 健康
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