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2011 年09 月05 日

親不孝、我に極まれり

 母を看取って、つくづく思うのが表題の事であろうか。
 逝く1週間ほど前から「植物人間」となった母に「もう頑張らんで良いよ」と言う言葉を投げかけたのも、言って見れば「これ以上私に苦労をさせないでくれ」と言う我侭な言いたい放題だったのだろう。
 父の時もそうだ。
 上背もあり、腕力もあった父から母や家内を守るために、と言うと少しばかり聞こえは良いものの、結局は「これ以上俺を苦しめるな」と言う事の表れだったのだろう。
 両親が逝き、納骨の準備としての墓掃除をして、骨壷を改めて見てみると、何だかそんな気持ちになってきた。
 今更になるが、感謝したい(すべき)ことが沢山ある。
 まずは、生まれて来た事であろう。戦後2年で生まれたと言うことは、病気や怪我だったと思うが、父が復員してからの仕込だったのだろう。姉は居たが、やはり当時の考え方で「男子誕生」と言う事が一つの使命だったのかもしれない。
 3歳の頃に「小児疫痢」と言う病気にかかり、聞く話によると、当時の医療技術では9割り方「向こうを向く」と言う状態の時に、リヤカーに乗せて病院を回ってくれたことは、まさに今の私が存在している証である。
 長い間の「夜尿症」にも叱り付けながらも、どこかに良い医者が居ないかと方々連れ回ってくれ、挙句は今で思えば何やら怪しげな祈祷師の所にも連れて行ってくれたことを思い出す。
 父が望んだ国鉄へは残念ながら就職できず、就職願書も父の伝で入手できた事などとっくに忘れて、課長になった時には、父が係長止まりだったことを批判したりした事も後悔と感謝の限りである。
 「あの世」と言う物があるかどうかは判らないが、せめてそんな所でお互いに生前と同様に言い争ったりしながら、過ごしてもらいたいものである。
 これも勝手な我侭なのだろうが。

投稿者:つねちゃん
at 06 :39| 子育て | コメント(0 )

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