2011 年09 月07 日
書いているだけ、読んでいるだけ
リタイアしてから「読み・書き」という習慣で「何かを得る」という感覚がずいぶんと変わってきている。これまでにも紹介したが、般若心経を600回を初めとしていろいろなものの「書き写し」を行ってきた。
またそれが現在も続いているのは、私ながら感心している。
現在は正信偈(今日で83回目に入った−−−1回を3日間で終えている)、論語(今日で憲問第14の33を書き終えた)、ハングル会話集(大体二つのフレーズを3日間続けている)、謡曲解説(あいうえお順になっており「翁」は特別として、「藍染川」から始まり、今日は「満仲(まんじゅう)」を書き終えた)、左手での書き写しとして以前右手でやった「徒然草」を今日で7回目をやった)。
これだけ書くと「凄いこと」をやっているのではないか、と思われるのだろうか、論語やポピュラーなものの一節について、さながら問答のごとき質問をしてくる人がいるのに閉口する。
タイトルにもあるように「書いているだけ、読んでいるだけ」なのであるから、そんなにそれらに対して造詣が深い訳ではない。
あくまでも「ボケ防止」なのである。
在職中の「読み・書き」はまったくこれと様相が違っていた。
「何か得るものがないか」「活用できること(精神論を含めて)がないか」「朝礼に使えるようなフレーズはないか」などと打算的かもしれないが、それなりに重宝したものである。
また、現実に大きく役立ったこともある。
それは「夢のまた夢」であり、今後もボケ防止のための「指先運動」、呂律判断のための「音読」を「だけ」ということで続けていきたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :38| 健康
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