2011 年09 月08 日
「生きている」ことを頑張ろう
カテゴリーを「健康」としたが、人によって受け取り方が違うのではないだろうか。団塊の世代の人間として、幼児、学校時代、就職戦線、入ってからの競争等々いろんな所で我武者羅に「生きてきた」と思っている。
しかしながら、それはあくまでも「競争」と言う意味で「人に勝とう」と言うことからやってきたのではなかろうか、と今更ながら思う。
リタイアしてもう10年になるが、両親を見送ったのが一つの契機かもしれないし、少しだけ仏教と言う物に近くなり、その手の物を読むことからの影響かもしれないが、「生きている」と言うことに今までとは少し違った意味を感じているこの頃である。
友人に「半身麻痺」の人も居れば、いつ会っても病気がちと言う人、定年退職後「何もやる気がない」と嘆く人など等悲観的に「生きている」人にも多く会うようになって来た。
逆に「今からが本当の自分の人生」と陽気に話す友人も居る。
先の人にも、後の人にも、同意して慰めあったり、励ましたり、または談笑したりするのだが、結局最後に言う言葉は大概決まっていて、「生きていればこそだよなぁ」である。
それなら、歌の文句じゃないけれど「泣いて過ごしても一生、笑って過ごしても一生、同じ一生なら笑って過ごそう」とばかりにやろうじゃないか、と思っている。
そのためには、表題の如く「頑張って生きる」と言う事を肝に銘ずるべきではないだろうか。
過去に聞いた落語家さんの講演で「健康であれば、死んだって良い」と言うような事ではなく、今置かれている立場立場で「生きる事」に頑張っていけば、そのうちに何とかなるのではないか。
誰も保証しなくても、自分が「頑張っている」と思えばいいのである。
色々な事をやって、疲れて「ダラリ」としているときでも「頑張っていない」のではなく、「疲れを癒すために頑張っている」のだと思えば、前向きな思考になるのではないか。
なぁーに、鈍ら者の勝手な論理なのではあるが。
投稿者:つねちゃん
at 08 :20| 健康
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