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2011 年10 月26 日

松下幸之助も偉いが

 経営の神様、と言う異名を持つ松下幸之助氏の言行録は在職中も度々図書館などを利用して読んだ事がある。
 この9月から「読む本」として久しぶりに自分のための本を買った。
 父とはあまり馬が合わなかったというか、視点が違っていたのか、沢山残された本の中には殆ど氏の本は無かった。
 で、9月1日から「一日一話」と言うことで「音読」している。
 訓話として、話せばわずかな時間だろうけれど、それが2日おき位になされている訳である(尤も本に記されているのがそうなのだから、実際は毎日だったのかもしれない)から、このブログとは比較にならないまでも、「話すネタ」を考えるのは結構大変だったんだろうなぁ、と思う。
 私自体は、以前にもこのブログで述べたが「本当かなぁ」と言う疑問と「なるほど」と言う感心との両面で読んでいるのだが、それでも、今でも「そうかも知れない」と今更ながら「身に着けよう」という気持ちになるものも数多くある。
 それにしても、それをなさった経営の神様は「偉かったなぁ」と思うと同時に、日頃たぶん直立不動の姿勢でこれらの訓辞を「聞いていた(聞かされていた)」社員も「エラカッタ」だろうなぁ、と思ったりする。
 これほど毎日ではなかったものの、職位がある程度になり、部下も10名を超す(実際には協力会社のメンバーがそれに加わるので、結構な人数になることがあるのだが)ほどになると、何かにつけ「お言葉を」といわれる事があった。
 大概は、そうなることを覚悟して、それなりのネタを探してゆくのだが、咄嗟に言われると、なかなか適当なネタが見つからない時もある。
 そんな時に思うのは「聞いている皆さんも大変だろうなぁ、エライだろうなぁ」と思うのである。
 神様ほどの言葉ならまだしも、言っている方も聞かされている方も「仕様が無い」でやっているのではと思うと、女性のスカート同様に短くしてきたつもりだが、振り返ってみると、このブログのように「長々、だらだら」と喋っていたのかもしれないと、今更ながら赤面するしだいである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :35| 子育て | コメント(0 )

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