2011 年10 月28 日
便利にご用心
現在の家の建て替え前に使っていた水洗便器が、とうとうあちらこちら痛んできたので、取り替えることにした。陶器なのだから、壊れる以外はまだまだ使えるだろう、と思っていたのだが、もう何年も前から暖房便座はその機能を消滅していたし、便座自体も罅が入り、一度カバーなしで座ってとんでもない痛さを経験した。
それはさておき、新しい便器を選択するに当たって、「便利さ」ばかりを追求しないで置こう、と言うことになった。
その一つの発端は、もう大分前になるが、孫がある家でトイレを使う際に、「こわぁーい」と言って逃げ帰ってきて、結局お漏らしをしてしまった、と言う話である。
聞くと、トイレに入った途端に「電気が点く」「蓋が自動的に開く」と言うことが原因で、判らないながらも「幽霊がいる」と思ったそうである。
「幽霊」と言うものをどのように捉えていたかは知らないけれど、彼女にとっては「摩訶不思議なもの」だと思ったのであろう。
それで、蓋の自動的に開く機能がついていないもの、というのが第一の条件であった。
また、便座から立ち上がったり、男子の小便のときは排便が済んで暫く立つと、自動的に水が流れる、と言うのも「不必要」としていた。
これは、もしそうでないご家庭でトイレを拝借したときに「流さないで」出てしまうことの失礼さを思ったからである。
この機能は、残念ながら付いていたが、選択で「機能しない」が選べるので、良しとした。
ことほど左様に、最近のいろいろな機器では「便利だろう」と言うことでつけられている機能が多く、「小さな親切、大きなお世話」と言う気がする。
これとは少し観点が違うが、先日情報系のニュースに「便利さが自由な発想を阻んでいる」と言う記事があつた。
興味のある方は、探して読んでいただければ良いが、私自身は「確かにそうだ」と思うと同時に「そうならされている」自分に気をつけなければ、と自戒した。
投稿者:つねちゃん
at 06 :44| 子育て
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