2011 年11 月10 日
まだまだだなぁ
このテーマは、以前にも書いた記憶があるが、ひょっとしてそれは新聞への投書だったのかもしれない。以前のきっかけは、般若心経を600回書き写した後の感想としてだったと思うが、そのときも今回と同じように「手で書く」と言うことに主眼を置いていたのだから、精神修養というのは二の次、三の次のズッート後だった。
今回も似たような気持になったきっかけは、年初めから今年の目標の一つとして始めた「『正信偈』の書き写し100回」で、先日ようやくそれを達成した。
このときも精神修養は後のことだと思って始めたが、矢張り「何かしらそんなものに対する期待」があった、と言うより途中から芽生えたのだろうが、残り僅かな時になって意識するようになって来た。
ところが、般若心経と同様に、どうしても腹が立つことが発生してしまった。
「怒るまい。人が自分の思い通りになることは有り得ないし、あつたとしたらそれは天国と言うよりも地獄なのだ」と自分に言い聞かせていたつもりだが、矢張り凡人の凡人たる所以か、どうしても怒りが収まらなかった。
そういう意味で「まだまだだなぁ」と言うタイトルになった次第である。
でも、ある本で読んだ逸話で、偉いお坊さんが、自分の死に至って、何事かぶつぶつ呟いているのを、弟子のお坊さんたちがよくよく耳を澄まして聞いてみると「まだ死にたくない」と言う言葉だったと聞くと、吾も凡人、彼も凡人、と笑いたくなる。
そんなわけで、齢64歳になっても、武田鉄也の歌ではないが「いまだ旅の途中」であることを感じる。
尤も「旅の終わり」と言うことは成長の終着点であるという意味では「悟りの境地」と言えるかもしれないが、それは「此岸での終わり」を示しているのだとすれば、まだまだ、イヤイヤ何時まで経っても、「旅の途中」であって欲しい。
目標は以前にも言ったが、120歳である。 (^。^)
投稿者:つねちゃん
at 08 :25| 健康
| コメント(0 )