2011 年11 月15 日
街角トイレ
まず最初にクイズである。必要で探す時に中々見つからず、そうでない時には「こんなところに?」と言うものの最たるものは何か?
まぁ、結論から言えば、正解はその人それぞれなので、何であっても良いわけなのだ。
クイズには常に「一つの正解がある」と言うのは、間違った考え方だし、そんな固定観念に捉われては成長がない、と言うのは、在職時の研修中に覚えたことである。
でもしかし、散歩中のトイレ(特に大の方)はこの答えに最も適したものではないだろうか。
男性の場合、小の方は、細かく言えば軽犯罪法に触れるし、これ見よがしにすれば「猥褻物陳列罪」にも当たろうが、少し人目に付かないところでやる「立ちション」は大体の場合「仕様がないなぁ」くらいで済まされるのが常である。
かつて野球選手が「そんな表彰を貰ったら、立ちションも出来ないから要らない」と断ったと言う話も聞くにつけて、頷けるものである。
散歩の途中では特に実感する。
でも、昔と比べて街角トイレは、随分と多くなったような気がする。
大体のコンビにでも「コンビニエンス(重宝)」という意味でトイレを開放(店員さんに断るのが礼儀ではあるが)してくれているし、わが町では、結構手頃な所に設備されている。
でも、表記のクイズではないが、「必要な時」には中々見当たらないものである、のは私だけの経験ではなかろう。
先日も「大丈夫だろう」と出掛けたが、少し寒くなってきたせいか、お腹が冷えてきて急に催してきた。
「そうだ、あそこにあったはずだし、施設の中だから清掃も行き渡っているだろう」と思いながらも、時間がまだ早いので「開いていなかったらどうしよう」と思いながら何とか堪えてたどり着いた。
結果は「助かったぁ」であった。
大袈裟かもしれないが、正に「地獄に仏」の感じだったのである。
話を発展して考えれば「あって当たり前」のものでも、無かった場合を考えれば、常に感謝して過ごすことが必要なのだろう。
空気や水だってそうであろうし。
そういう意味で、自分が生きていること自体が「有難い(有り得ないこと)」なのである、とは少し仏教色に染められ過ぎているのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :30| 健康
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