2011 年11 月24 日
「何の不自由なしに生きていて」
かつて、よほど悪いことをしたのだろうが、こんな言葉を母から聞いたことがあった。亡くなったから思い出すのだろうが、今思ってみると確かにそうだったのだろうなぁ。
でも、子供や孫には聞かせたくないし、自分自身が言いたくはない言葉だと思ったが、それこそ母の反面教師としての教えだったのかもしれない。
今でも「そんな事言ったって」と言う反発が先にたつのだが、その次に出てくるフレーズが中々まとまりが付かない。
勿論いつも「気取る」と言うことなど考えては居ないのだが、内実は「俺だった色々と不自由があるのだ」と言うことであろう。
でも、その不自由を書き出してみると、結局は「自分のことだけしか考えていない」と言うことに尽きるのだろう。
リタイアする前は、基本的には「お客様のため」また「お客様の先にあるお客様のため」と言うことを公言してきたが、それだって結局は「自分の業績アップのため」だったと今更ながら反省頻りである。
リタイアした今は、以前とは少し「他人様の為」と言う気持ちが増えてきている、様な気がしているが、それだって「本当か」と三度重ねて質問されたら、全くと言っていいほど自信がなくなってくる。
一度、自分の「不自由だ」と言うことを書き上げてみたいような気分になっている。
でも、何だかそれをやること自体が「自分勝手な不自由」と言うことを思い知らされそうで、怖い、と言うのが本音で中々出来ない。
また、逆に、「なんだ不自由なんて全く無いじゃないか」と言う結論に至ると、それこそ怖いような気持ちにもなってくる。
こんなことを思いながら過ごすことが、凡人としての世界なのだと、笑い飛ばして、漫然と毎日を過ごしている私は、果たして正しいのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :37| 子育て
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