2011 年11 月29 日
選択出来る幸せ
世の中に「良くも悪くも」と言う選択の余地が無いことも結構ある。しかしながら、リタイアしてから「選択出来る」ことがどんどん増えていることに気がついて楽しい。
仕事をしている時は「少なくとも基本的なこのことは『ネバなら無い』と考えて行え」と言われ、選択の余地などは二の次だった。
これと似たようなことが、至る所であり、自然と「そういうもんだ」と自ら選択する事を回避するようになっていた。
また、係長時代までは、半官半民の体質の組織だったから「前例に無い」と言うことで、検討もされずに拒否された物である。
それが、一転して「民営化」と言うことになり、「自分で考えて行動しろ」と言う掛け声が掛かった。
正直なところ戸惑ったのだが、上手い具合に「課長」と言う立場になったのだから、ある程度は自分の裁量でできた物である。
リタイアした今、漫然と過ごす毎日が続くのだが、時々そんなことを孫の行動を見ていて思う。
母親と婆ぁちゃんである家内は孫と同性(3人とも女性である)なので、それなりに「気づく」事があって「してはいけない」と声を荒げ、孫としては殆ど選択の余地が無い。
それが爺ちゃんの私に対しては、かなり選択の余地がある(無責任な爺ちゃんである)せいか、特別「これをしてもいいか」と言うような発言も無く、かなり自由な選択をしながら過ごしているように見える。
もっとも、私が気が付いていないだけなのかも知れないが。
そんな時、ふと自分を振り返って、かなり自由な選択が出来ていることを幸せに感じる。
選択の初めは、朝食である。
今朝は昨日の残りご飯を自作の蕪の葉のヨゴシと一緒に炒飯にして、辛味もたっぷりと入れ味わい、味噌汁は軽く若布と卵にしたい、あぁ幸せ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :54| 子育て
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