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2011 年12 月12 日

至福の時

 加齢のせいばかりではないが、前日の夜どんなに遅く寝ても、逆にどんなに早く寝ても4時過ぎにトイレに起きて新聞を取りに行き、4:30にはクラシックを中心にしたCDが静かに流れ出し、5:30にはファンヒーターがつき、その頃からまどろみながら新聞を読み出す。
 これが私の殆ど毎日訪れる至福の時である。
 特別なことではないが、これを「至福」と感じられる自分がまた楽しい。
 よく言われるように「健康な人は言葉で健康に感謝するが、本当に健康に感謝することは無い」と。
 不健康な時にこそ、真の意味で「健康に感謝」と言う気持ちが明らかになるのだろう。
 勿論、凡人の凡人たる所以で「喉元過ぎれば」と言うのも間違いない事実である。
 同様に「幸福でないと嘆く人は真の幸福を知らないのではないだろうか」と思うのである。
 かつての私も当然「もっと幸福に」と願っていたものである。
 でも、リタイアして大分経ってから「幸福」って何だろう、と思うようになった。
 で、冒頭のことになるのだが、心地良い音楽に包まれながら、排便も順調に済ませ、昨日までの出来事を「徒然なるがままに」新聞を読むことで少しばかり理解し、部屋が少しばかり暖かくなったときに、手足指伸ばしをして、起き上がり、一日を始められる、これこそが本当の「幸せ」なのではないだろうか。
 勿論、それが過ぎれば、普通の凡人として、好きなパチンコで僅かかも知れないが、プラスになれば「なんという良い日だろう」と思い、逆であれば「なんと不幸な日であろうか」と思うのである。
 でも、一日の始まりを「至福の時」で始められれば、それだけでも幸せではなかろうか。
 今日は新聞の休刊日であるが、その分布団の中でのまどろみの時間が長くなると言う幸せがプラスされている。

投稿者:つねちゃん
at 08 :32| 健康 | コメント(0 )

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