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2011 年12 月19 日

映画はやっぱり劇場で

 映画を観るのは基本的に「大好き」である。
 しかしながら、やっぱり「時間貧乏性」なのだろうが、観る時には「構えて」観なければならず、その間は没頭しなければ、今度は「(お金)貧乏性」と言う顔が出てきて、しっかり観なければ折角お金を払っているのだから、と言うことになり、自分自身混乱してしまう。
 で、先日家内と久し振りに「邦画」を観に行った。
 今まで家内と一緒に見るのは「ハリーポッター」だけだったように思うが、それも「字幕物」だった。
 別に英語が堪能な訳ではないが、なんだか吹き替え版だと、一つの「緊張感」と言う物が削がれてしまっている様な気がするからである。
 TVで放映される時には、勿論吹き替え版で観るのだが、原語版で見た記憶がその裏打ちをしてくれるので、緊張感を思い出すので、それはそれで楽しい。
 話を本題に戻して、題名は「Railways」。
 富山地方鉄道が舞台であり、矢張り地元の人間としては親近感を覚える。
 個人的には、自分が退職したときのことが思い出され、どうしても涙腺が緩んでしまった。
 私なりの理解でしかないのだが、線路は2本で意味を為し役に立つ。1本になってしまっては、鉄屑でしかない。さりとて、その2本がクロスすることなく、寄り添って生きていかなければならないし、それが幸福なのだろう。
 しかしながら、時には左右に分かれてそれぞれの役に立ち、それが過ぎればまた寄り添って役に立つ。
 英語にした一つの理由は、最後の「s」ではなかろうか。
 線路はお互いに繋がってはいるのだけれど、各々複数の「線路」が各々の「行(生)き方」をしているのだろう。それで複数なのではないか。
 それにしても、矢張り映画は劇場で、映像の迫力と音響の迫力で観るべきだろう。
 TV放映は、その思い出を持って反芻する、と言う意味では楽しいのであるが、逆順になってはお互いにつまらないのではないだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 07 :22| 趣味 | コメント(0 )

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