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2011 年12 月21 日

迂闊だった

 リタイアした現在でも、年末になると「あぁーだ、こぉーだ」言いながら「飲み会」が増えてくる。
 在職中と違うことは、声がかかるところが「想定外」の所だったりするので、少し困惑してしまうのが難点である。
 在職中は、複数の場所も異なり、勿論メンバーや協力会社も異なり、お客様も異なりと言う具合に良い意味でも悪い意味でも「引く手数多」だった。
 幸いにして、現在はメタボのど真ん中で糖尿症との診断を受けているが、当時は毎晩続いても全くそんな症状は無かったので、毎回楽しく歓談できた(むしろそれが私の一つの「とりえ」だったと思っている)。
 大概二次会がつき物で、それなりの「心づけ」を要求されるのだが、それも必要経費と思っていた。
 その道すがら、前後に誰がいて、どんな話題をしているかについては、結構神経を使って意識していたので、翌日もしくはその後その話題をテーマに話を引き出して、仕事に結びつけたこともある。
 勿論、決して自分に対する悪口などはすぐに忘れてしまって、話題にすることはなかった。
 先日の飲み会の帰り、大概は後ろの誰かが判る筈だったのだが、声を数度掛けられるまで全く意識できず、並んで話しながら帰った人との話だけに没頭していた。
 全くの迂闊だった。
 これを加齢のせいにする訳にはいかないが、それだけ注意力が散漫になってきているのだと理解するべきで、悲観するのではなく、もっとゆっくりと回りに気を使いながら行動すべきだと自分に言い聞かせた。
 こんなことも「少しの刺激」と思えば、それはそれだまた楽しみでもある。

投稿者:つねちゃん
at 08 :23| 健康 | コメント(0 )

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