2012 年01 月11 日
物を「作る」だけでは「売れない」
リタイアして暫く経ってから、友人の勧めで「物作り工場」に勤務したことがある。何しろ新興企業だから、少人数で「作る」ことは勿論「梱包」や「出荷」を初めとして全てのことをやらなければならないことになった。
「作る」と言う工程だけでも「生産管理」と言えば言葉は簡単だが、その内容は、音湿度調整(空調管理)、清掃や害虫対策と駆除など、それらに関する対外調整もあり、何事も疎かに出来ないのである。
そんな中でも「作れば売れる」と思っていたのだが、ある時「この品物を置いていただけませんか」と売り込みに行ったら「うちは6掛けだが良いかい?」と言われた。
在職中に初めてシステム販売に行った時に「この世界半値八掛けが常識」と言われたことがあり、「6掛け」と言う言葉自体には然程驚かなかったが、この時実感として初めて「何でだろう」と言う疑問が沸き起こった物である。
その仕事自体は1年足らずで退職した(首になった)のだが、このテーマを思いついた昨年末になって、ようやく気が付いた。
不景気ながらも、年末は商店街やデパートでは、商戦華やかである。
クリスマスが終われば、お正月、こちらの地方では天神様に関する商品も所狭しと並んでいる。
勿論新聞には毎日のように分厚い折込チラシが入っている。
で、ハッと気が付いたのである。
実際の物の値段よりもこれらのための経費が馬鹿にならないのであろう、と。
勿論人件費だってそうだが、飾り付けの品物も決して安くは無いだろう。
新聞に折り込んでもらうチラシだって、デザイン料から印刷費用、販売店への依頼料などが嵩張り、場合によっては(私もかつて新聞配達のアルバイトをしたが)量が増えれば重くなるので、その分のお手当ても必要だろう。
そんなことを考え合わせると、6掛けはむしろ良心的なのではないだろうか。
「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」。
例えが適切かどうかは別として、今朝の朝食が食べられるのも、皆「他人様」の尽力による物だと思えば、価格は兎も角、一つ一つに感謝したい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :28| 興味あること
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