2012 年01 月25 日
自分の名前
リタイアしてから、再開した「愛読書」は、漫画雑誌の「ビッグ・コミック・オリジナル」である。「博多っ子純情」や「じゃりんこチエ」など、その昔に関する話は、また別の機会にして
今回思いついたテーマは、20日に発売になった最新号からである。
最新の「三丁目の夕日」で、女の子が、宿題に「自分の名前」の由来を聞いて作文すると言う話題だった。
内容は、著作権にも関わるから、詳述は避けるが、改めて「自分の名前」について考えてみた。
かつて、出張族だった私は、各地のホテルや旅館に泊まり、大概は酔って帰ったのだが、必ずすることの一つに「自分と同姓同名の人」が居ないか、電話帳で繰ってみることだった。
残念ながら、長い間見つからなかった。
リタイアして、相当経ってから、一通のメールが届いた。
内容は「畑の土質」についての質問だった。
園芸高校は卒業していたが、もとよりそんなことは知る訳もなかったので、丁寧に異人である事をお伝えしたのだが、ネットで調べると、確かに、漢字上は「同姓同名」の人で、地質に詳しい人がいらっしゃることを知った。
しかしながら「読み方」は違っていたので、果たしてこの場合「同姓同名」と言えるかどうか疑問である。
私の名前は、父がどこかのお坊さん(多分当時の門徒寺だろうが)に頼んで付けて貰ったのだと聞いた記憶がある。
「『常』に『充』ちていて欲しい」と言う意味だろうと、自分勝手に思っているが、今は大分減ったが、下の字が「光」と書かれる場合が多かった。
機会あるごとに「俺はまだ『光っては居ない(頭髪は白髪なりにフサフサある)』」と言って訂正を求めてきた、と言うより一つの話のきっかけにしたものである。
父は「利一」と言うが、ある人がそれを知って「昔は武士の出ですか」と聞かれた。
父系の先祖や母系の先祖にも「武士」と言うのは聞いていないので、何故かと逆に質問すると、父の上の字と、私の上の字をくっつけると、かつてのこの辺の有能な大名の名前になるから、と言うことだった。
幸か不幸か、苗字が「前田」ではないのだが。
いつまでも「常に充ちて」居たいものであると願いつつ、そんな名をつけてくれた両親や地域の人々に感謝である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :51| 日記
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