2012 年01 月31 日
敵が負けても、味方が勝つとは限らない
昔から自民党と言う政党は好きではなかったが、ある意味「アンチジャイアンツ」のように「居なければならない」存在だったように思う。ところが、民主党の現政権になってからは、殆ど存在自体が「邪魔者」それも形容詞として「純粋に」と付けたくなるような事になっていると思うのは、私だけだろうか。
増税反対、自分らだってその必要性を感じているのに、揚げ足取り的な発言や事態を針小棒大に叫びたてて「解散しろ」と言っている。
原発反対、自分らの政権の時に散々推進して回ったのに、想定外の事故があったら知らんぷりして、自分らの推進してきたことを棚の奥の方に締まってしまう発言は、憤慨を通り越して、噴飯物でしかない。
沖縄の米軍基地問題、「最低でも県外」と言った元総理も問題だが、かつては「お仲間」だったことや過去の経緯が次第にあからさまになってきているのに、「問題だ、問題だ」としか言えない発言に、何の真意が汲み取れるのだろうか。
挙句は、党大会に招いた来賓の挨拶中に、罵詈雑言と言える野次を飛ばすなどは、議員の風上と言うよりも「人として」の存在自体を疑わざるを得ない。
兎も角解散させれば、お鉢が自分のところへ回ってきて、味方が「勝つ」とでも思っているのであれば、とんだ「お門違い」であろう。
さりとて、翻ってみれば、そんな議員さんを選んだのは「私は彼の政党に一票も入れたことは無い」と言ったところで、他の政党の議員さんで負かそうとまでの努力をしなかった我々選挙民に、責任の「一端」どころではないものがあるのではないか。
今までもだが、過去を振り返っても仕様が無いので、これからの選挙には、微力ながらかもしれないが「無為無策、野次しか飛ばせない議員」を当選することだけは避けたいものである。
あぁーぁ、これだけ言ったら(書いたら)すっきりした。
仄々屋でもたまにはこれくらいのことはしてもいいだろう。
お耳やお目を汚したのであれば「馬鹿の与太話」て笑い飛ばしてもらって大いに結構である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :20| 政治への注文
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