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2012 年02 月06 日

作文は苦手だったなぁ

 このブログももう1600回を超える回数続けられている。
 時々「書くネタ」に困ることはあるけれども、それでも自分なりに「良く続けられているね」と冷やかしだったり、自嘲だったりいろいろな思いを込めて楽しんでいる。
 小学校の頃から、国語の授業は結構好きだった。
 漢字を覚えたり、新しく知る言葉などは無条件に楽しかった。
 しかしながら、作文だけは苦手と言うか「書く材料がない」ということで大嫌いだった。
 先生は「何でも『思いついたこと』を書けばいいのだから」と優しく仰ってくださるのだが、「思いつかない」のだから始末が悪い。
 いやいや、思いつくことは「無い」訳ではなく「ある」のだが、それは書けないのである。
 そういう意味では、当時まだ「貸し本屋」(今じゃもう「死語」だと思っていたが、あるTV放送で「まだ健在」だと知った)を母がやっていたので、色々なジャンルの本があり、勿論「色餓鬼」と異称を取るほどスケベ(以前のブログで書いたように「げなし」だった)だったので、その手の話題は嫌ほど思いつくし、平凡、明星と言う雑誌の付録には「歌詞集」が付いていたので、色恋の文句にも多大な興味があった。
 小学生だったけれど、流石にそれは書けないと思っていたのである。
 コンピュータ関係の仕事に入って、色々な提案をしなければならなくなり、仕方なく「作文」をしたのだが、当時はまだ平社員だったことと技術一辺倒でも許されたので、文章の稚拙は問われなかった。
 ところが、係長と言う立場になってから、容赦なく「叱責、罵倒、赤だらけの訂正」などが「襲ってきた」。
 その後も相当長い間(いやいや、リタイアするまで)「作文」に苦しめられた物である。
 リタイアして、新聞投稿などをするようになってからも、稚拙な文章は中々直らないようだが、真意は伝わっているようなので、一つ一つ学習だと思って、相変わらず「恥」をかいている。
 まぁ、それでも時々採用されてもらえる図書カードで孫の本などを買ってやれることが楽しみでもあるし、感謝する時でもある。

投稿者:つねちゃん
at 09 :18| 学習 | コメント(0 )

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