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2012 年02 月08 日

常識は難しい

 学歴的な偏見があるのは、田舎の工業高校卒で、然程成績が良かった訳でもなく、卒論も共同作戦でどうにかすり抜け、父からの薦めで、ある公共企業の大学への入学試験にも落ち、どうにか入った先で、何を勘違いしたか(いやいや酔った勢いだったのだが)その企業の短期大学的なところに入って2年間給料を貰いながら、可も無し不可もなし(だって、追試は3回受けただけだったのだから)で卒業したと言う学歴だったのだから、ある意味仕方がないと思し召しください。
 でも、最近の官僚や議員さんには、立派な学歴をお持ちで、多分「優秀な成績で卒業された」方も多いと思うのだが、学問ばかりでなく、常識教育も必要なのではなかろうか。
 私のつたなすぎる学歴でも、学問は別として、社会教育、常識教育と言う物は「人から言われて」ではなく、「恥をかきながら」授かったものである。
 「頭だけが良い」官僚や議員さんには、この「常識」というものがかなり欠如しているのではないかとこの頃考えさせられることが多い。
 「それは私としての常識だった」(かつて総理をなさった方が『あなた方とは違うんだ』と言われた事がありましたね)「それが非常識だとは思っていなかった」果ては、「(一般的な非常識でも)私にとってはそれが常識だった」と開き直られる方もいらっしゃったりするのは、腹が立つよりも、笑いが先に来る。
 上記のとおり、「常識」を学ぶためには「恥をかかせる」と言う教育が最も理解されると思う。
 「恥をかく」程度であれば、個人的なもので終始するだろうし、影響力も然程ではないうちに改められるのではないか。
 このテーマを思いついたのは、1週間ほど前だが、この日までに「エッ」と驚くことがあった。
 総理経験者の「お坊ちゃま」が「名前が信条と合っていない」と言うことで、一文字変えられたとの報道である。
 少なくとも七光りを放っている人より貰った名前を安直に変えるようなことだから、誰も信条など信じても居ないだろうに、と言う「常識」に早く気がついてもらいたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :26| 政治への注文 | コメント(0 )

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