2012 年02 月10 日
議事録がうまく書けると一人前
何度か紹介したが、約18年「半官半民」の会社に在籍していた。その後民営化されたので、大分「官」の色は無くなったが、まだまだ残っているうちにリタイアしたから、今ではそんなことは昔話になってしまっているだろう。
現場仕事から、デスクワークに移ったのは、昭和55年からだったが、当時はオーバーヘッド部門と言うこともあって、色々な会議に呼び出された。
最初は「議事録書き」が主題だったが、だんだん内容が判って来ると同時に発言も促されたので、その発言内容について事前に学習もし、論理展開なども頭に入れておくのだが、大概はその筋書き通りには進まないので、アドリブ的な発言や提言を余儀なくされ、会議終了後には、自分の発言などの正確性をトレースしたり、補追的な情報の収集に当たったりしていた。
でも、しかし、議事録書きの仕事は依然として残っていたので「議事録はまだ出来ないのか」と言われると、慌てて記憶(メモは自分のため用のものしか残していなかった)を頼りに、書いて行くのだが「あれも書いていない、この趣旨は違う、発言者が違う」などなどの叱責の雨嵐に打たれ、なんとも惨めな思いをしたことが度重なった。
尤も、そのおかげで、本社勤務する時には、「お前が先にチェックしろ」と言われる様にまでなったのは、一つの自慢でもある。
最近、原発事故の会議の議事録が「書かれて居なかった」ということが話題になっている。
「上手く書ける」と言う意味の裏には「書かなくて良い事は書かない」ということがある。いや、むしろ「書いてはいけない」ことなのである。
会議内容の全てが、そうであったとは思いたくないが、そんな内容ばかりの会議に時間給にすればとてつもないお金が費やされている人たちばかりだったはずである。
方や、随分昔の外交文書などが、議事録ではないにしても公開されつつある。
全てが理解できる訳ではないが、やはり「議事録が上手く書ければ一人前」なのであろう。
そう思ってみると、議事録すら書けない人間は潔く現職を離任していただきたい物である。
まぁ、ごまめの歯軋りでしかないが、こう書けることに感謝するしだいである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :26| お役所
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