2012 年02 月13 日
「習う」と「倣う」
「書き写し」を日課としてもう何年になるだろうか、そんな中から思いついたテーマである。いつも言っているように「勉強」は「強いて勉める」と言う意味合いだと思っているので、リタイアしてからは「殆ど」(残念ながら『全く』とは言えていない)やっていないのだが、「学習」はいろんな契機を見つけては楽しく続けている。
そんな中での「書き写し」も決して「意味を理解しよう」と「強いて勉めて」は居ない。
昔からの「下手な字」を克服するために、最初はなんとも人を馬鹿にしたことだったが、同僚に綺麗な字を書く人間が居たので「代書」を頼んでいた。
暫くして転勤になり、何度も真っ赤(当時はトレーシングペーパーに書いてコピーが可能とすべく書いたのだったが、その原紙に赤のボールペンで正に「朱」が入れられた)に訂正されてしまった。
趣旨の訂正は勿論喜んでやったが、字の下手さの指摘には閉口してしまい、当時立派な「和文タイプライタ」(電子式のもので書き直しが可能だった)が使われずに置いてあったのをしっかりと「勉強」して使いこなした。
それからワープロ時代になり、多分大抵の人よりも早く使いこなした。
話題を本来に戻し、書き写しも「習う」と言うよりも、模倣と言う意味での「倣う」になっているのではないかと最近になってようやく悟った。
お経や論語などを書き写していても、「学習」出来ているのは、多分1%以下ではないだろうか。
でも、字の書き順や、今まで「思い込み」で書いていた漢字が、全く違っていたりして気がつくことも大いにあって、模倣から得られたことが結構身に染み付いている。
まだまだ「習う」までは道遠いだろうが、それまでは気軽に「倣う」ことを続けていこうと思っている。
楽しい「倣い」が続けられることに感謝しながら。
投稿者:つねちゃん
at 09 :23| 学習
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