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2012 年02 月17 日

「根拠を示せ」に疑問

 増税の根拠を非公開にすると言うこともおかしいと思ったけれど、公開したけれど「ただそれだけぇー」になってしまっているのでは、何のための議論だったの?
 在職中を含めて、今までも同様な場面に出会ったことを思い出す。
 尤も、リタイアしてから10年も経つので、大体が「自分の身贔屓」的にデフォルメされた記憶になっているのは、凡人たることとお許し願うが。
 「示せ」と声を荒げて言う方は、自分の思惑と「大幅に」違っていることを持ち玉として攻めているのだが、答えられて「然程の違いは無い」となると、攻めたことすら忘れてしまったかの如くに話題をはぐらかしてしまう。
 攻められた方は、衆人環視(とまでは言わないけれど、ボードメンバーの耳目を集めているの)の中、しっかりと答えないと立場が無くなり、その提案自体の信憑性に関わる。
 だから、本来の検討事項が後回しになり、その答えの正当性の確認などに労力が取られてしまう。
 こうなると、全く本末転倒である。
 私自身も「攻められる側」に何度も立ち、その都度苦々しく思ったのだが、ある時、「攻める側」に立った。
 勿論それなりの「持ち玉」は用意していたので、間違いなく相手を論破できる自信もあった。
 前夜、親しくされていた部長に誘われて、新橋の飲み屋に出掛けた。
 「酔わないうちに言って置くが」と言われて気構えた。
 大体この言葉が先行する時には、「やったことへのお叱り」の場合が殆どだったが、思い当たることが無い。
 こんな時が一番怖いのである。
 でも「今からやろうとしている」明日の論戦について、「それの全てを肯定的に説明しろ」と言う言葉だった。
 「その方が会社にとってもお前にとっても得策になるはずだ」と諭された。
 その晩の酒は、いつもより多くなり、単身赴任寮に戻ってからも一人で飲んだが、複雑な味だった。
 でも、彼は(勿論学歴の差はあるが)私よりも昇進して辞めた。
 決して「負け犬の遠吠え」ではなく、懐かしく楽しい思い出である。

投稿者:つねちゃん
at 09 :07| 政治への注文 | コメント(0 )

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