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2012 年02 月29 日

「鈍ら者の重荷」は困るけど

 PCの調子か、ネットの調子か判らないけれど、朝一番に書いた内容が届かずに消されてしまっていた、残念。
 と、気を取り直して、誰も見ていない朝一番の書いたことになるべく準えて書くことにしよう。こんなことがたまにあるのも面白いことである。

 諸姉・諸兄は表記のようなことを叱責されたことは無いかもしれないが、私がまだ中学生の頃まで、良く父親に言われた言葉だった。
 「どうせやるのなら一度に『持って』序の所に置いて行けば良いじゃないか」との発想から「あれもこれも『持つ』」のである。
 結果として「もてればいい」のだが、大体は途中で落としたり、それを拾うために持っているものを落としたりして、必ずしも効率的ではなかった。
 多分父は「小まめに少しずつやればいい」と言いたかったのであろう。
 反対に母は「どうせ行くのなら『手ぶら』じゃなく序に持って行け」だったり、「片手が空いているのだから、これも持っていって」と「序主義」で小言を言われたようである。
 ところが、両親が一緒にいる時には決してどちらも言われなかったような気がする。
 これは、両親が意識して子供の混乱を招かないようにとの思いだった、と思うのは「故人の偲び過ぎ」なのかもしれないが、両親の写真を整理しながら思い出したテーマである。
 どちらも「成る程」なのだが、得てして「あっ、今やっている」と思うようなことがある。
 今では誰からも叱責されたり、小言を言われることは無い(あっ、そうだ、唯一人だけ言うお方がいらっしゃる、くわばわくわばら)のだが、思わず苦笑いしてしまう、楽しい思い出である。
 子の年代にはもう遅すぎるが、孫には「小言」めかず、「叱らず」を心がけながら「いつも優しく、時々怖い爺ちゃん」が言うことだと思って、従ってくれている。
 それを見ているとなんだか嬉しい。

投稿者:つねちゃん
at 09 :02| 健康 | コメント(0 )

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