2012 年03 月09 日
「負うた子に教えられ」
ことわざの誤用はよくある話である。一番よく知られているのは「情けは人のためならず」だろうか。
「一所懸命」も本来とは違った意味が既に辞書にも載っていると言う。
表題の言葉は「何を教えられた」のだろうか。
正解(と私が思っている)は「浅瀬」である。
おんぶをしておんぶをしている親よりも少し目線が高いところにある子供から、「お父さん、こっちの方が浅いから安全に渡れるよ」と言われることを指しているのだろう。
逆に言うと「そっちの方は深くて危険だよ」と言われていることになる。
今までは、確かに文章のごとくだなと納得していたのだが、少し穿って考えてみれば、この子供は果たして誰なのだろうか、また、親は誰?と言うことに考えが及んでくる。
花嫁を送り出す時の「長持ち歌」の歌詞のように「蝶よ花よと育てた」子供ではなく、どうか出世して世の中の「民」を良い方向に導いてくださいよ、と言う意味と取れはしないだろうか。
となれば、子供は世の中をよくするために選び育てた人であり、育てた親とは、すなわち「民衆」のことではないだろうか。
そんな風に考えると、果たして選び育てた人が、その役目を果たしてくれているのだろうか。
また、育てた親は「我田引水」的なことばかりを黒幕的に操ってはいないだろうか。
これが私だけの「穿った見方」でないことを祈るばかりだが、腹ばかり立てていても仕様が無いので、「少なくとも私だけは違う」と言う気持ちを持ち、できれば「貴方もそうなりませんか」と誘ってみるのもいいのではないだろうか。
勿論人にはその人なりの立場と考え方があるので、無理強いはしてはいけないが、ノホホンとそんなことを考えるのも、偶には良いのではないか。
投稿者:つねちゃん
at 09 :48| 健康
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