2012 年04 月13 日
かつての部下が亡くなった
リタイアして10年以上になるので、失礼な言い方だとの謗りを受けることを覚悟しながらだが、少しくらいの知人の訃報には心で冥福を唱えることがあっても、参列はしてこなかった。年に一度、職種が同じだったグループの集まりで、黙祷を捧げ、知っている物同士でかつてのことなどを話して供養の一環にさせてもらっていた。
ところが、先日、新聞の訃報欄で、かつて直接部下だった人間の名前を見て、驚いた。
年齢が50歳とあったが、比較的一般的な名前なので、もし同姓同名異人ではないかと、私が居た頃の、会社の仕事の運び具合を見計らって、朝礼が終わった後、本格的に仕事に取り掛かる合間の時間に電話を掛けた。
「10年ほど前にそちらに勤務していた者ですが」と告げると、幸いにして「エッ、部長ですか」と聞き返されたので、名前を聞くと、当時在籍していた「若い人」だったことを思い出し、懐かしく感じながらも事実を確認したが、不幸にして本当だった。
後日葬儀に参列して、喪主の奥様の挨拶の中で、数年前から難病と戦いながらも、一時は奇跡的に回復して、仕事にも戻れたと言う。
つい最近になって、くも膜下出血で手術も上手くいったのだが、そのほかの病気が遠因となったようで、帰らぬ人になったとのことだった。
制御・方式担当と言う、表には中々見えにくく、さりとて基盤的には無くてはならない分野を持たされ、不具合があれば、責任を追及され、上手く行けば、「当たり前」と忘れ去られる分野である。
かつて私が最初に担当して、36年間の殆どがそんな分野だったので、それなりに彼には苦労を掛けたナァ、という気持ちだった。
50歳と言う若さで逝く人を見送るのは、流石に哀しかった。
「歳の順ではない」とはよく言われるが、やっぱり、一休禅師ではないが「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」様であって欲しいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :13| 日記
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