2012 年04 月26 日
政治家に「自省」という言葉を求めるのは無理なのか
在職中に、管理職という立場になったら、極々自然に「当時の政権与党の党員」として登録され、年会費なども徴収された。入社後6年ほどしてから、請われて組合活動に「組織部長」と言う肩書きで名を連ねたこともあったが、これとても、自ら積極的になった訳ではないが、当時の野党に党員として登録され、会費も徴収された。
当時は今ほど「政治」と言う物に傾倒していた訳ではなかったので「これも一つの義務なのだろう」くらいに考えていた、いわば「ノンポリ」だったのである。
そんな背景を考えながら、リタイアしてから、不謹慎だけれど「暇だから政治に興味を持つようになった」と言うのが本音である。
ところが、現与党も野党も、立場が変わったら、自分たちがやってきたことの反省は全くなく、相手の揚げ足取りばかりして、口で言う「国民のため」には全く用を為していない事に気がついた。
現在大きな問題の一つに、原発問題があるが、積極的に作らせていたのは、現野党ではなかったか。
穿ってみるならば、そのために色々不正なお金が飛び交ったり、天下り先の設営に配慮したりしていたのは、誰だったのだろうか。
また、それを批判ばかりして、全く建設的な意見ではなく「反対」の連呼をしていたのは誰だったのだろうか。
いずれも「現在の立場の保身」だけを考えて、口先だけで「国民のため」と言っても、底が見透かされていることに気が付かないと思っているのだろうか。
日々激変の時代だが、停滞があったとしても、一度「自省」を踏まえて、「来し方、行く末」を本当の意味で「国民のため」を考えて欲しい、と願うのは、魚市場で新鮮な野菜を求める如く無理な話だろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :40| 政治への注文
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