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2012 年05 月11 日

電気は「発・送・配」をセットで考えて

 このテーマは、政治への注文と同時に、全国民への注文でもあると思うのだが、それは言い過ぎだろうか。
 原発事故(決して事件ではないと思っている)に起因して、殆どの人がヒステリックに「原発反対」「再利用エネルギーでの発電で事足れり」としている。
 果たしてそうだろうか。
 高校は「電気科」を専攻したが、思っていた「弱電」は全体の30%くらいで、主に「強電」の分野だった。
 思いが違っていたこともあって、成績は下から数える方が早い順だった。
 しかしながら、強電に代表される「発送配電」という教科の基本的なことは知ることが出来、卒業後、幸いにして好きだった、通信と言う弱電分野の会社に入ることが出来たのだが、強電の基礎知識は結構役立ったものである。
 再利用エネルギーの代表としてソーラー発電があるし、それなりに大規模な「発電所」が形成されているとも聞く。
 また、家庭でも屋根などを使っての「発電」が出来、余剰電力は電力会社へ売れ、正直なところ我が家でも結構真剣に考えて入る。
 ところが、それはその規模でのこととして、それまでは良いとして、それで現在の原発に相当する発電所を作ると言うことになると、果たしてどうなのだろうかと強電ぼんくら生ながら考える。
 何歩か譲って、「発電」は出来たとしても、それを遠隔地までに効率的に「送電」するということになれば、当然ロスを少なくするために「高圧」での送電が必要になる。現在の「特別高圧」と言う電圧は、22KVというものになり、それなりの絶縁設備や安全設備などが必要になってくるが、その手当てを忘れていないだろうか、勿論安全対策を含めてである。
 また、それを家庭に「配電」する訳にはいかないから、所々で「変電所」が必要になってくる。そのためには、強力な電磁波を発生させる「トランス」と言う設備も安全対策を含めて必要である。
 「安全は全てに優先する」と言う論理は、何も原発に限ったことではなく、そんな電磁波や送電のための鉄塔などにも当然議論されなければならない。
 そんなことを充分に踏まえての比較検討にならなければ、ただヒステリックに原発反対を唱えるのは、果たして如何だろうかねと思うのだが。

投稿者:つねちゃん
at 09 :19| 政治への注文 | コメント(0 )

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