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2012 年05 月16 日

無責任な「政治評論家」

 連日の「政治ネタ」になるが、昨日も行ったように「ノホホン」とした気持ちでお読みいただければ幸いである。
 なぜなら、幾らここで(時には新聞投稿で)喚いて見たところで「人は変わらない」のだから。
 率直に言えることは「貴方もすぐに政治評論家になれる」と言うことである。
 先日、同級生近傍(年齢がプラスマイナス2歳くらいの人を私はこう呼んでいる)の人たちと話す機会があり、たまたま私の投書を読んでくださっている方が居て、「政治評論家になればいいのに」と言う話題になった。
 即座に答えたのが、上記の言葉だった。
 残念ながら、私の狭量な視野と知識では、「まともな政治評論家」にはなれないと自覚しているし、とてもあのような「厚顔無恥」な連中に肩を並べる気にはならない。
 では何故相手にそう言うかというと「批判ばかりをしていれば、そのように聞こえるから、尤もらしくなるよ」と言うことであり、これも「揶揄」の一種であると、笑い話にしてしまった次第である。
 事ほど左様に、今TVやマスコミで、それを生活の糧にしている「政治評論家」の言葉をよく吟味して読んだり聞いたりしてみれば、「自分勝手な側面だけからの評論」にしかなって居ないのである。
 本当にそう思うのであれば、自ら進んで政治家になればいいのに、決してそうはなさらない。
 落語の「かぎや」の1節に声を出しては直ぐに人の影に隠れる野次馬を揶揄するところがあり、私は好きである。
 それほどまでとは言わないが、現在の殆どの政治評論家がそうである。
 かつて、マスコミを賑わして政治家になった人は、今はいずこに生息されているのやら。

投稿者:つねちゃん
at 06 :30| 興味あること | コメント(0 )

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