2012 年05 月18 日
新幹線の防音壁
父が当時の国鉄勤務だったことも影響があるのかもしれないが、子供の頃から「汽車」が大好きだった。ちなみに、高校通学は勿論「汽車」だった時代である。余談は追記欄に書かせていただく。
こちらでも新幹線の工事がそろそろ終盤に掛かりつつあるのだが、線路の両側に最初はなんだか理解できず、線路近傍の人に教わったのだが、防音壁が張り巡らされている。
確かに近傍の人には騒音でしかないのだろうから理解は出来るが、延々田んぼの真ん中を走っている所にもそれがあるのが理解できない。
電車(私の場合は飛行機でもだが)の旅の楽しみの一つに「窓外の景色」がある。
防音壁はそれを全く無くしてしまう。
これで飛行機に勝とうとするのは、果たして如何なものだろうか。
上述したが、飛行機からの眺望と電車からの眺望は全く違うと思っている。
なんと言っても「今は山中、今は浜」と言う感覚が飛行機に求めることは出来ず、電車ならではの物である。
難しい話だろうけれど、「窓外の景色が楽しめる防音壁」と言う物が開発されないだろうか。
防音壁について、もう一つ理解できないのが、「垂直の物」と「逆『しの字』型のもの」があることである。
素人考えながら、同じ物が並ぶと共振する事を防止しているのではないかと思うのだが、それならそれで、電車の中の人にも、外側で生活する人にも眺望を楽しめるようなことは出来ないのだろうか。
最近の飛行機には、子供が喜びそうなポケモンなど、色々な装飾が施されていて、人気を集める一つの要因になっているのではないか。
新幹線の形には「より高速に」と言う技術が多数組み込まれていると聞くが、それと共に「湘南電車」の色の意味合いも持たせるような工夫も大切なのではないだろうか。
余談になるが、当時倶利伽羅峠を越すために、石動駅で水を補給していたことも現実に見ている年代でもある。
金沢へ行く時に、トンネルに入るのだが「窓を閉めろ!」と大人から言われて慌てて閉めたこともある。
それが長じて、在職時には「出張族」となり、リタイアする3年くらい前には、時間の節約のために飛行機利用が多くなったが、それまでは(飛行機が怖くて嫌いだったこともあるが)殆ど「電車」利用だった。
鳥取へ行った時に、その日はもう宿で寝るだけの時間だったので、駅前の居酒屋へ入って晩酌がてら一杯飲んでいた。
カウンター越しの女将さんが「何処からいらしたの}と聞くので、「東京から」と答え、「何でいらしたの」と聞かれ「電車で」と言うと、2人居たお客さん共々多いに笑われてしまった。
なぜなら、当時(多分今でも)の鳥取には「電車」は走っていなくて、「ディーゼルカー」だけだったのである。
帰りにホームで上を見たら、無粋な電線が全く無く、澄み切った青空だったことを今でも思い出す。
今年の秋には、出雲で同窓会が行われるのだが、余目鉄橋の恐怖とディーゼルカーの旅を家内と楽しんでこようと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :47| 興味あること
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