2012 年05 月24 日
社説とコラム
有料で購読していない新聞社の方々には申し訳ないが、ネットで各社の社説やコラムを読むのが一つの楽しみになっている。尤も、最近は「社説」は余り読まなくなっているのだが。
なぜなら、と言う前に、「コラム」は殆ど欠かさず読んで楽しんでいることを、私なりの「仄々」論で述べさせていただく。
「コラム」に対しては「ふぅーん」「なるほど」「そんなことを言ってもナァ」などとかなり「仄々」とした気分で読めるし、反論があったとしても、熱が上がるほどの反論は何故か湧いてこない。
「そんな意見もあるんだろうナァ」で済ませられるのである。
ところが、「社説」になると、俄然熱を帯びてくる。
上記に準えた反応を表現するならば「そんなことだったのか、それはけしからん(もしくは、それはもっと推進すべきことだ)、断固抗議すべきだ」、「そうだそうだ、全くそうだ」、「そんなことを言ったって、じゃあ、貴社は具体的に如何なんだ、批判ばかりじゃ物事は進まないだろう、田中角栄ではないが、『反対するなら対案を出せ』ではないのか」とどうしても熱を帯びてしまうので、朝から決して健康によくはないと思うので、タイトルを見て、「仄々となれそうだ」と言う物だけを読むことにしている
これは、私だけに限ったことなのだろうか。
そんなことを思いながら、在京時のことを思い出してみると、20代後半頃からそんな癖が付いているようである。
そうだそうだ、カミさんに「朝から社説は読まないで」と注意されたことがあったことを思い出した。
当時は今よりももっと激しく熱が上がっていたのだろうナァ。
でも、新聞記事だけでなく、社説やコラムはもう一歩別の観点から事態を読ませてくれるので、私の永遠の学習の友になるだろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :35| 学習
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