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2012 年06 月15 日

「無駄」を是認する

 このブログの読者諸姉・諸兄は多分私と同年代か、それほど離れてはいないのだろうと勝手に想像している。
 そんな前提で、かつて多分何処の会社や組織でも叫ばれた「ZD運動」と言うのをご存知であろう。
 当然私も、結構同意してチームリーダー的な立場になったこともあった。
 「人間は行動する、その行動の結果で何かを生み出す、それを組織の生産物として活かし、組織の活性化を図ることが、人間の取るべき行動であり、『何も生み出さない=ゼロ』は徹底的に排除し、ゼロを生み出すような環境を初めとした原因を事前に撤廃させる」と言うような物だった、と記憶している。
 理解の深さは違うかもしれないが、総論としては合っていると今でも思っている。
 今日のテーマは、全くそれとは逆行しているのだから、人間なんて勝手な物である。
 確かに「無駄」と言うことは全体的には排除すべきことだけれど、喩えが良いかどうかは別にして、車のブレーキに「遊び」と言う無駄が無かったらどうなるだろう、と考えてみると「必要な無駄」は不可欠である。
 もう一歩進んで、リタイアしたかつての企業戦士諸君には、「積極的無駄」を作ってみることをお勧めしたい。
 その上で「あぁ、今、自分がやっていることは、無駄なんだよナァ」と思えれば、シメタ物である。
 一番悪いのは「これは無駄ではない」と信じて行う「無駄」ではないだろうか。
 「無駄だと判ってする無駄と、意識しないでやっている無駄では、多分行く末大きく違ってくるのではないだろうか」と思っている。
 何も「お金を使う」ことではないし、そんなに使うお金も無いのだから、それ以外の無駄「是認」しながら「楽しみたい」物である。
 あっ、決して思ってはいけないことは「生きていることが無駄」である。

投稿者:つねちゃん
at 08 :15| 日記 | コメント(0 )

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