2012 年06 月18 日
やっぱり「後で」は「やらない」になってしまう
何度か紹介したが、在職時から今現在も「一つの癖」として身についている、と言うより性みたいなものであるが、「メモ魔」と言う物である。とにかく、大体の時は「メモ帳」を持参していて、多分他人様から見れば「取るに足りないこと」ばかりかもしれないが、メモをとることにしている。
そんな自分だけれど、そんなにしていても、ついつい「これは後で良いや」「後で直ぐに出来ることだから」と「後で」と言う言葉に先行されることがある。
ところが、「後で」思い返そうとしても、滅多に出てこない、と言うのが実情である。
枝葉末節のことだから、思い出せなくても何か致命的になることでは決して無いのだし、「逃がした魚は大きい」と言うような気持ちでもないのである。
ところが、これが妙に気に掛かるのである。
何とか思い出そうと悶々とするのである。
で、悩むだけ悩んで、結局は思い出せないのである。
だから「やらない」ことになってしまう。
ある昔の友人に「お前ほどのメモ魔でもそんなことがあるのか」と驚かれたり、呆れられたりするのだが、ことがそれほど重要なことではないので、笑い話で済んでしまうのだが、これが結構楽しみになったりしている。
私の持っている携帯電話は、最近は「音声メモ」も取れるようになっているので、メモをすることが億劫だと言う訳ではないのだが、何故か「後で」と言うことがまだまだ発生し、消滅している。
最近は「思ったことが記録できる」と言う装置が開発途上であるとも聞く。
高価でなければ、使ってみたいような気もするが、実用になったら「有象無象」のことを思ったりするから、それこそ「収拾が付かなくなって『何もしない』」と言うことになりそうで、やっぱり想像だけの世界を楽しみたい。
投稿者:つねちゃん
at 09 :01| 日記
| コメント(0 )