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2012 年07 月19 日

「有り難い」を今一度味わう

 「有り難い」を「ありがたい」と平仮名で書いてしまうと、慣れ親しんだ言葉なので余り気がつかないけれど、なんだか「呪文」のように聞こえてしまって、意味がさっぱり判らなくなってしまうのではないだろうか。
 もし、幼い子供に「なぜなぜ攻撃」されてしまった場合に、果たして適切に判り易く説明できるだろうか。
 「難い」を「難い(にくい)、なかなか実現できない」と漢字から説明すると、比較的判って貰えるのではないだろうか。
 何もこれは、子供に対することではなく、自分自身に言い聞かせることでもあると、最近結構思う機会がある。
 65年も生きていて、決して「良い事」ばかりがあった訳ではないが、今現在「生きている」と言うことはなんとも「有り難い」ことではないだろうか。
 記憶にうっすらと残っているのは、3歳頃に「小児疫痢」と言う病気にかかって、当時は生死の境を行ったり来たりしていたことがあるが、両親ばかりではなく、かつて看護婦だったと聞く、祖母の適切な指導などもあったのだろうが、それから60年余り生きていることは、やはり「有り難い」ことであった。
 それを初めとして、日々感謝している癖を身につけていると、自然に「ありがとう」と言う言葉が口から発せられていることに気が付く。
 して貰った事ばかりではなく、全く偶然に遭遇したことや、「駄目かも知れない」と思っていたことが「案ずるより」と言う言葉の通りすんなり実現できたことなど等、まことに「有り難い」事ではないだろうか。
 震災、原発事故に加えて、最近の豪雨被害による被災地の人には申し訳ないけれど、こちらではそんなことが起こっていないことについても、有り難い事だと思えることが「ありがとう」と心から言えるのだろうと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 06 :34| 健康 | コメント(0 )

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