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2012 年08 月09 日

ボツ投稿

 大同小異、と言う言葉は、大きな意味で同じだけれど小さな違いがあることだが、最近の政治はその「小さな違い」を重箱の隅をつつくかのごとき議論をして無駄な時間を費やしていないだろうか。
 政治家が非公式な場所で言うのは構わないが、公式の場所で言うと言うことは「時間の無駄遣い」イコール「税金の無駄遣い」であろう。
 背景に「政治屋、選挙屋」と言うことが大きくあるのは仕方なく理解は出来るが、結果として決して「国民のため」にはなっていないことを知るべきではなかろうか。
 「大同」と言う言葉と「小異」と言う言葉を使うのならば、そろそろ「小異を捨てて大同について」本当の意味で国民のための方策を論じて欲しいと思うのは、「八百屋で魚を求める」ほど無理な話なのだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 05 :36| 健康 | コメント(0 )

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