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2012 年09 月06 日

感謝は「八百万の神仏」へ

 殊更信心深い訳ではないが、毎朝起きると、1年で1枚の暦に「昨日も無事に過ごせました、今日もまた一日よろしく」と言う意味で、それを声に出しながら昨日の日付に丸印をつけることにしているのは、既にご紹介した。
 8月も終わり、1年の2/3が丸印で埋め尽くされている。
 始めた時は然程にも思わなかったが、ここまで来ると「何とか一年過ごせますように」と言う気持ちが湧いてくる。
 ところで、何気なくやっていることだが、丸印をつけるのは、やはり「感謝」と言う事の表れなのだろうと、今更ながら気が着いた。
 それでは、誰に感謝するのか、また、何に感謝しているのだろうか、となんだか昔研修所時代に半年ほど習ったがまるで身に付いた記憶が無い「哲学」と言うような世界に入ってるような気がする。
 我が家には、仏壇も神棚もあり、父が存命中はその世話は殆どすべて父が主導でやっており、時折私と家内が盆暮れの仏具磨きと、暮れの神棚掃除をやっていたくらいだったので、然程信心と言うような気持ちはなかった。
 父を見送ってからは、リタイアしていたこともあり、その分を私が引き受けることになった。
 少しだけかじってみると、神様や仏様と言うのは、数知れずいらっしゃるということだ。
 それぞれに、色々なお役目があるようなので、どうも一つや二つに絞りきれないし、そうすると「片手落ち」どころか、千手観音などになれば、殆ど漏れてしまうことになる。
 果たして「八百万」で済むのかどうかは定かではないし、それを挙げつらなう事もできないのだが、兎も角基本は「今日、元気に生きている」ことに対して、すべての神仏に感謝である。
 尤も打算的なのは、口だけの感謝ではお金も要らないのだから、気が楽だと言うこともあるが、これでは罰が当たるだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 07 :03| 健康 | コメント(0 )

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